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執筆者の写真Megumi Church

牧師ノート

更新日:2020年5月1日

日々の生活や聖書を通して教えられたこと、覚えておきたいことを残していきます。


5/2(土)ヨハネ4章

 21節「イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」


 イエス様はこの女性をよくご存知でした。彼女の過去を知り、現在を知り、その上で言われました。「わたしを信じなさい」と。


 私たちは自分自身の罪ゆえに、自分が神様に受け入れられるはずはないと感じます。しかしイエス様は「わたしを信じなさい」と招いてくださいます。


 「わたしを信じなさい」、イエス様の愛とあわれみに満ちたことばです。この招きのことばに応答し、今日も感謝してイエス様を信じていきたいと思います。

 

3/11(水)マタイ20章

 25-27節「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」


 イエス様が示されたリーダーシップは仕える姿です。命令を与えるだけではなく、模範を示し、さらに弟子たちが命令に従えるように助け導いてくださいました。


 イエス様に従い、忠実に仕える者となれますようにと祈ります。


ローマ人への手紙14:4

「他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。」


 

3/4(木)マタイ13章

 23節「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」


 この章においてイエスは種と土地の関係について話されました。種は土地の状態によって実を結ぶかどうかが決まります。


 種はみことば、土地はみことばを聞く私たちです。私たちが良い地かどうかによって、みことばが実を結ぶかどうかが決まります。


 良い地とは悪い者(19節)が来ない、困難や迫害(21節)が起こらない、この世の思い患いと富の誘惑(22節)が全くない人ではないと思います。


 良い地とはそれらの只中においてもみことばに聞き従い続ける人です。


 私たちは様々な試練、困難、痛みや悲しみの中で、繰り返し自分の弱さ、愚かさ、罪の深さを目の当たりにしながらも、みことばに聞き従うことを選ぶ時、豊かな実を結ぶ良い地にされていくのだと思います。

 

2/27(木)マタイ7章

24節「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。」


 予想されるリスクに備えて準備することは賢い選択である。


 イエスのみことばに従って生きることは、最も重要なリスクマネジメントといえる。


 困難や試練の中でイエスのみことばは私たちに力を与え、支えてくれる。

 

2/26(木)マタイ6章

33節「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」


 この章において、イエスは隠れたところにおられる天の父を意識して生き、天に宝を積むようにと教えられた。


 私たちは様々な心配ごとのために天の父を忘れ、どうしたら良いかわからなくなる。しかしイエスは、心配せずとも天の父があなたがたの必要をご存知であると言われた。


 神の国と神の義を求めて生きていこう。隠れたところにおられる天の父が平安を与えてくださる。


 

1/31(金)ゼパニヤ書3章

17節「あなたの神、主は、あなたのただ中にあって 救いの勇士だ。 主はあなたのことを大いに喜び、 その愛によってあなたに安らぎを与え、 高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」


 預言者ゼパニヤは、主が救いの勇士であり、あなたを大いに喜ぶと語った。主は正義と公義のさばき主でありながら、救い主である。


 救いの勇士、主イエスはわたしたちのただ中におられ、その愛によって安らぎを与えてくださる。


 主イエスによる魂の救いと平安を感謝し、救いの勇士主イエスを喜び、賛美をささげたい。


 

1/30(木)ゼパニヤ書2章

11節「主への恐れが彼らに下る。 主が地のすべての神々を消し去られるからだ。 人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。 異国のすべての島々も。」


 預言者ゼパニヤは全世界の罪に対する神のさばきが来ると語った。その日、すべての偶像(人間が造り出した神々)が消し去られ、まことの神が全世界の各地で礼拝されると預言した。


 いつの日かさばきが終わり、まことの神様だけが礼拝される。人間が造り出した神々ではなく、人間を創られた神様だけが礼拝されるようになる。


 右にも左にもそれず、創り主なるまことの神様だけを礼拝したい。


 

1/23(木)ナホム書1章

7節「主はいつくしみ深く、 苦難の日の砦。 ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。」


 預言者ナホムは当時の大帝国アッシリアの首都ニネベに対する神様のさばきを告げ、神様に敵対する者は必ず罰せられることを預言した。(1節〜6節)


 神様に敵対する者やその集まりは、神様に属するものを奪い、滅ぼすために攻めてくる。しかし神様に身を避けるなら安全、安心である。


 いつくしみ深き友なるイエスは私たちの砦、隠れ家である。主イエスのうちに憩い、主を賛美したい。


 

1/22(水)ミカ書7章

18節「神は、恵みを喜ばれるからです。」


 預言者ミカは自分が神様の前に御怒りを受ける者であり、罪ある者であることを告白した。同時に彼は神様こそ光であり、救いであることを預言した。(8,9節)


 預言者ミカは神様の性質と約束に基づいて救いを願い求めた。(18節-20節)


 神様は恵みを喜び、約束通りに救い出してくださるお方、恵みとまことに満ちた救い主である。恐れずに自らの罪を悔い改め、主イエスによる救いを受け取って主の恵みを喜ぼう!


 

1/17(金)ミカ書2章

13節「彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」


 預言者ミカはサマリヤとエルサレムの罪に対するさばきを語り、同時に回復と救いの約束をも語った。主ご自身が彼らを呼び集め導くと。


 教会とは「主に呼び集められた者たち」である。主に呼び集められ、教会に加えられた者として、主の導きを信じ、主から目を離さずに歩んでいきたい。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル人への手紙12:2)


 

1/16(木)ミカ書1章

2節「神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。」


 主はサマリヤとエルサレムの罪に対してさばきを告げた。主はすべての目撃者、証人である。主に隠されているものは何もない。


 主は私たちのすべてをご存知であり、私たちの罪を目撃した証人である。しかしその罪をご自分の身に背負われた救い主でもある。今私たちは恵みとあわれみにより、主の証人とされている。ハレルヤ!と賛美しつつ、アーメン!と感謝しつつ、「主こそ私の救い主」と証ししていきたい。


 

1/15(水)ヨナ書4章

11節「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない12万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」


 ヨナはニネベの人々が悔い改めて、さばきを免れたことに対して怒った。ヨナはニネベの人々は滅びるべきだと考えていた。しかし神様はなんとかしてニネベの人々を救おうとされるほど、彼らを愛し、尊い存在として見ていた。神様はその心をヨナと分かち合うために、日照りからヨナを守る唐胡麻の葉を茂らせ、一日にして枯らせた。ヨナは唐胡麻の葉が枯れたことを非常に惜しんだ。一夜で生えて一夜で滅びた唐胡麻を惜しんでいるヨナに対して、神様はニネベの人々が滅びてしまうことを望まないその心を分かち合われた。


 神様がどれほど私たちを愛し、一人一人を尊い存在として見ておられるのか、その心をいつも覚えておきたい。


 

 

1/14(火)ヨナ書3章

4節「ヨナはその都に入って、まず1日分の道のりを歩き回って叫んだ。」


 ヨナは主に従ってニネベで主のことばを叫んだ。ニネベは行き巡るのに3日ほどかかる大きな都だが、ヨナが1日歩いたところで、ニネベ全土に主のことばが布告された。ヨナの宣言が王様の耳にまで届き、王様がその宣言を布告したからだ。ニネベの人々は悔い改めて、神のさばきをまぬがれた。


 私たちが一日に出来ることは限られている。しかし一日一日、主に従って歩むところに大きな希望がある。主は私たちの一日の歩みを用いて、大いなることを成してくださる。

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