「きみは落下傘部隊のようだね。」
ある牧師からこのように言われました。どういう意味か尋ねたところ、「バプテスト連盟とは違うグループから突然バプテスト連盟の教会に来た」ということです。
考えてみると、確かにそうです。私は昭島めぐみ教会に来るまでバプテスト連盟の教会に所属したことがありません。
昭島めぐみ教会へ来て、はじめてバプテストの信仰と歴史を学んでいます。
もしかしたら私と同じようにバプテスト教会に導かれていても、バプテストのことがよくわからないという方がいらっしゃるかも知れません。
バプテストってなに?
教会員や牧師の方々に教えてもらいながら、バプテストを知る助けとなっているのが写真の本(『バプテストの信仰』著者:寺園喜基、金丸英子、2015)です。
この本はバプテストの信仰の「底流」、「根っこ」を明らかにして、その信仰の中心的特質を考えていくことを目的としています。さらには個々の教会員をつなぎ、個々の教会をつなぐ一助となる願いが込められています。
本書の「はじめに」から一文を引用します。
「そもそも、諸教会・伝道所・教会員の間に土台となる共通の信仰理解とその共有とがなければ、歴史の先達が望み見た「バプテストとしての自立と連帯」は叶わないのではないでしょうか。」
これは大切な一文であると思いました。さらにこう記されています。
「たしかに、よく言われるように、「『何でもあり』がバプテストの真骨頂であって、各人の自由と解放と多様性の擁護こそがバプテストの真髄である」と言って、間違いではないでしょう。けれども、そう語る一方で同時に、「はたして、ただそれだけなのだろうか」と考えさせられるのです。」
この指摘は考えさせられます。「バプテストの信仰」に「何でもあり」を可能とする信仰の広がり(表現や生き方の自由)があるならば、それは「何でもありではない堅持すべき信仰の内容」に支えられているからこそなのではないかと思います。
著者(金丸英子氏)は本書出版の理由をこのように記しています。
「歴史のバプテストははたして、基準となるこのような軸の何らもないところで、時代の風潮や人々の好みといったものに流されるがままに教会を変革し、教会を形成してきたのでしょうか。筆者にはとうていそうは思われないからこそ、バプテストのバプテストたる「軸」「柱」「底流」を探って、それを明らかにし、そこに立って必要な堅持と変革とを考えていきたいと思っているのです。前述のようにバプテストとしてのアイデンティティが混沌とした状況にある今日、それはことさら重要で意義のあることではないでしょうか。」
まずは「何でもありではない堅持すべきバプテストの信仰内容」(底流・根っこ)に立ち、その信仰姿勢を身につけていきたいと思います。(石橋虎之助)
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