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執筆者の写真Megumi Church

12月6日礼拝メッセージ

スピーカー:スコットさん

聖書箇所:ルカの福音書9:23~26

「23イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。 24自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。 25人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。 26だれでも、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子もまた、自分と父と聖なる御使いの栄光を帯びてやって来るとき、その人を恥じます。」


個人的な証:宣教への召し

 私は宗教的な家庭で育ち、間違った方向へ進んでいると気づくまでエホバの証人でした。高校生の頃、親しい友人から救い主イエス様のことを聞き、彼は数週間に渡り、イエス様のことを話してくれました。私は彼と話せば話すほど、彼の質問が難しく感じるようになり、どう答えたら良いのかわからず、エホバの証人の方々に答えを求めました。そうこうしているうちに、彼らは私にこう言いました。「あなたが誰と話しているとしても、もうそのような人々と話すのはやめなさい。」しかし若者というのは「やめなさい」と言われるとますますやりたくなるものです。私は友人にイエス様について積極的に質問するようになりました。そのことがきっかけで私はクリスチャンの若者たちが集うリトリートに参加し、今まで一度も見たことがない光景を見ることになりました。それは若者たちが心を込めて、本当に神様に向かって語りかけている姿でした。彼らの姿は情熱的で、心からお祈りしていました。エホバの証人では決して見ることがありませんでした。私はこのリトリートでイエス様を信じ、家に帰りました。そして家族に私の決断を伝えると、家族は私を家から追い出したのです。私の友人がそのことを知り、私を彼の家に招いてくれました。私はそれから18ヶ月間、彼の家で、彼の家族と一緒に生活したのです。


 当時私は給料がとても良いコンピュータープログラマーの技術者を目指していました。1980年代というのはコンピューター革命が起きている頃でした。しかしイエス様を知った私はその道へ進み続けるのではなく、聖書を学ぶためにバイブルカレッジに進むことにしました。そのバイブルカレッジで私は世界中にはイエス様のことを聞いたことがない多くの人々がいることを知らされ、自分の人生をイエス様に仕えていくためにささげ、将来は宣教師として働いていくことの決心をしました。またそのバイブルカレッジでとても美しい女性ジュリーと出会い、私たちは結婚に導かれました。そしてお互いに神様から宣教への召しを受けているように感じていましたが、10年が過ぎ、私たちはアメリカでの生活にとても居心地の良さを感じるようになっていました。

 神様は私の目を覚ますために私の人生を大きく揺り動かしました。そして私とジュリーは再び自分の十字架を負い、イエス様が私たちに望まれている方向がどこだとしても、イエス様に従っていく決心をしたのです。しかし正直言うと、私は心の中で、「どこへでも行きます。アフリカ以外なら。。。」と言っていたのです。アフリカにはいろいろな種類の蛇がいますし、虫がいますし、動物がいます。それに加えて非常に暑いということも知っていました。


 私たちが宣教の準備を進めていく中で、神様が私たちに「もしあなた方が心を尽くして私に従うのであれば、あなたの行きたいところへ私を従わせるのがあなたの仕事ではなく、むしろ私があなたに命じることの全てを行うように、あなたが私に従うことだ」と言われていることがはっきりとわかるようになりました。また神様は聖書を通して、私たちがどこへ行こうとも神様が共にいてくださることを教えてくださいました。私たちは神様に同意して、アフリカへ導かれていきました。

アフリカでの生活

 アフリカで過ごした最初の数日の夜をよく覚えています。とても暑い夜でした。私は横になり、天を見上げて祈りました。「神様、あなたは本当に私をここに導かれたのでしょうか。ここはものすごく暑いです。もっと涼しいところの方が、私はあなたのためにもっと良い仕事が出来ると思うのですが。」しかし神様ははっきりとここが神様の導かれた場所であることを教えてくれました。

 私たちがアフリカで出会った人々というのは先祖崇拝をしていたり、スピリット(霊的存在)を礼拝していたり、イスラム教に従う人々でした。奇妙に聞こえるかも知れませんが、実は日本と似ているのではないかと思います。日本でも仏教と神道の両方に従っている人が多くいます。

 アフリカでの15年に渡る生活を通して、私たちは神様が多くの人々の心と人生を変えられ、イエス様を信じる信仰へと導かれるのを見ました。その一人はアミーという女性です。彼女は特別な人でした。私たちが生活していた地域では男性は4人まで妻を持つことが出来ました。アミーは第4番目の妻でした。ところが彼女は夫から捨てられ、離婚させられてしまいます。さらに別の男性と結婚して、その人の第4番目の妻になりました。第3番目とか第4番目の妻というのは、社会的には非常に低い立場にありました。さらにアミーの場合は第4番目の妻として離婚させられた後で、また別の男性の第4番目の妻になったのでさらに低く見られていました。しかしアミーはイエス様を伝えることに置いて、全く物怖じしない大胆な人でした。妻のジュリーは彼女と近しい関係でした。当時はまだ十分に彼らの言語で話すことは出来ませんでしたが、アミーはジュリーのところに来て、こう言いました。「十分に言葉が話せなくても関係ありません。みんなにイエス様のことを伝えに行かなければいけません。」大事なのは私たちがどれほど言語能力があるかということではなく、神様が用いてくださるということです。


 多くの協力者たちがアメリカから来て、一緒にアフリカの方々にイエス様を伝えることが出来ました。そして多くの人々が初めてイエス様について聞く姿を見ました。そして今まで一つも教会がなかった地域に次々に教会が築かれていくのを見ることが出来ました。アフリカの人々は情熱を持って家族や友人、村々、他の国々までイエス様を宣べ伝えるまでに成長し、変えられていきました。学生たちにイエス様を伝え、トラックの運転手たちにも、宗教のリーダーたちにも、家畜を飼っている人々にも、タクシードライバーにも、お店のオーナーにも、政府のリーダーたちにも、さらに自分たちの村の村長たちにまでイエス様を宣べ伝えていきました。

神様によって私たちの人生は180度変えられた。。。

 聖書には、神様の全ての命令に従うとは、全てのことにおいて神様に従うことであると明確に教えられています。アフリカで15年暮らして、神様に従うとは、時には友人や家、評判の良い仕事や立場を手放すことであり、イエス様が導かれるところどこへでもついて行き、口を開いて、出会う方々と分かち合うことであると学びました。私たちはアメリカを去り、アフリカへ行く時にそのことを経験しなくてはいけませんでした。そして再び、神様は同じ状況に私たちを置かれました。神様は再び私たちに自分の十字架を負い、アフリカを離れるように導かれたのです。神様は私たちをどこへ導かれたでしょうか。それは東アジアでした。

 東アジアについて私たちが何を知っていたでしょうか。はっきり言って何も知りませんでした。ただアジアンフードの美味しさだけは知っていました。私は中華も韓国料理も和食も大好きだったのです。神様は私たちに自分の十字架を負い、神様が導かれるところへ行くように言われました。それは韓国でした。


 私たちは韓国で4年間働くことになり、私にとっては7番目の言語を学ぶ機会となりました。2箇所の大学で韓国語を学んでいたので、私はよく韓国人の学生をコーヒーやランチに誘いました。彼らの話に耳を傾け、時には相談に乗ったり、聖書の話を分かち合うことが出来ました。彼らは私との時間をとても楽しみにしてくれました。その理由は私が他の大人とは違ったからだそうです。一般の大人たちは彼らに何をすべきかということばかりを語りましたが、私は彼らの話に耳を傾け、彼らにとっては自分たちが経験している困難やストレスを分かち合う機会となっていたのです。皆さんも学生だった頃を覚えていると思いますが、きっとさまざまな困難やストレスを経験したのではないでしょうか。今の学生たちも同じように困難やストレスを抱えているのです。そのことに耳を傾けることが彼らの助けとなるのです。

 韓国ではバプテスト連盟や様々な教会と一緒に働きました。4年間、韓国のクリスチャンの方々や地域の方々のために協力して働きました。そして神様は私たちを日本へと導かれて行きました。神様はこのように言われたのです。「イエス・キリストの福音を聞くことを何よりも必要としているところへ行きなさい。」私たちは韓国での荷物をまとめて、2019年11月に日本に引っ越しました。私たちはまず日本語を学ぶ予定でしたが、コロナウィルスの感染が拡大し、学校が閉鎖されてしまいました。自分たちでも学んでいましたが、ようやく今年の8月から学校に通い、日本語の勉強を再開することが出来ました。5月にはバプテスト宣教団の東京チームに加わるように導かれましたが、正直言って、この巨大な東京を見るときに、私はただただ圧倒されてしまいます。それでも神様が共におられ、決して見捨てることはないと神様が約束されていることを頻繁に思い起こしています。神様は私たちが効果的に日本語を学び、文化を学び、この最も素晴らしいニュースをこの巨大な東京でどのように伝えたら良いか、私たちを助け、導いてくださっています。

 私たちは常にこのメッセージがNHKのニュースより、新聞や雑誌、インターネットで見るどのような情報より大切なメッセージであることを覚えておかなくてはいけません。そのメッセージとはイエス・キリストを通して与えられる救いのメッセージです。私たちはまだ日本語を流暢に話せませんが、神様はこのメッセージを伝えるために、私たちを導いてくださっています。今月も英語がある程度出来る日本人の方々との出会いを与えてくださいました。私たちはこのメッセージを日本の方々に伝えたいと思いますし、伝えていかなければならないと信じています。このように考えてみてください。今、あなたの目の前で死にかかっている人がいるとします。そしてあなたはその人を助ける方法を知っているのです。あなたはその方法を隠しておくでしょうか。もちろんその方法を教えて、その人を助けるのではないでしょうか。

 最後にいくつかの質問をして終わります。

 私たちは個人的に、また教会として、神様が私たちに願われている方法で神様に従おうとしているでしょうか。それとも簡単なことや犠牲を伴わないことだけ従うつもりでしょうか。私たちの周りでイエス様のメッセージを聞く必要のある方々がおられるでしょうか。日本ではとても多くの方々が孤独を抱えています。イエス様は彼らに答えを与えることの出来るお方です。

 神様は私たちに「行きなさい」と言われました。神様に従うのは簡単なことではありません。しかし神様は聖書において、私たちの必要の全てを満たしてくださることを約束されていますし、私たちの歩む道がどれほど困難であるとしても、その一歩一歩を共にしてくださることも約束しています。

 今時間を取って、神様にこのように伝えようではありませんか。「神様、私はあなたの願われることを何でもいたします。この教会において、地域において、私の家の近所において。職場や毎日の生活で出会う方々と共に、あなたの願われることに従っていきます。」

 自分の十字架を負い、毎日の生活の中で、全てにおいて神様に従って歩んで行きましょう。

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