『やもりは手で捕まえられるが、王の宮殿に住んでいる。』(箴言30:28)
今、世界中に広がっている新型コロナウイルスから、この聖句を連想してしまいました。ウイルスにとっては、男女も老若も貧富や立場の違いも、国籍も言語の違いだって関係ありません。忖度などないのです。どうか1日も早く収束(終息)しますように。
ちょっと前に『100日後に死ぬワニ』という4コマ漫画がSNSで話題になりました。私は、TVのニュースでこれを知ったのですが、漫画を毎日見ていた方々と同じように、なかなか考えさせられるな、と思いました。欄外の『死まであと○日』のカウントダウンがなんともハラハラします。作者のきくちゆうき氏によると、『作品を描く初めから終わりを決めていた』とのこと。自分の終わりを意識して生きるという死生観を伝えたいという意図がおありだったそうです。
きくち氏の話から、ある牧師先生がされていた話を思い出しました。それは、自分が死を迎えた時に関するもので、『皆さんは自分のお葬式に集まってくれた人に、なんと言われたいですか?』という問いかけでした。話の全てを覚えていないのですが、(先生、ごめんなさい)その問いは覚えています。
『自分の葬儀に集まってくれた人が、自分について思い出を語ってくれるでしょう? その時、皆さんだったら、自分について何て言ってもらいたいですか?』と。先生は、自分だったらこう言ってもらいたい、とご自分が考えておられることを述べられました。
私はどうかしら? 私なら何て言ってもらえたら、自分の生涯は意味があったと思えるだろうか?と考えました。
私なら『この人が信じていた神様って本当にいるんだね。』と言ってもらえたらいいな、と思ったことを覚えています。
さて、あなたなら、何と言ってもらいたいですか?
『その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。』(マルコ13:32)
今年も桜がきれいだなぁ… 教会学校スタッフ Y.M.
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